本当無理ンピック2022匙投げ日本代表
…………お前久々の投稿でタイトルドン滑りするのやめろ?
お久しぶりです、谷屋です。
去年1年間はもうあまりに色々とついてなさすぎて………人生の意味を真剣に問う日々を過ごしたので一部を除いて無かったことにしております(タイトル回収!)(爆速)(コーナーで差をつけろ)
という訳でそんなに久し振りでもないということにしていますが(??????)いかがお過ごしだったでしょうか。
私はといえば、、
あ そういえばお伝えしてなかったかも?
そういう気?は母や周りがうっすら認識しつつあったと聞いていますが、発覚したのは少し遅かったので成人してからなんですね
普通落ち込むのかもしれませんが、私の家族含めほぼ全員「そらそうやろ」という反応を返してきたのでめちゃくちゃ面白いなと思っています。
そして自分としてもかなり面白い。
毎日同じコーヒーを飲んで毎日同じ机上の配置で毎日同じ時間に出勤するのに友達との約束の遅刻だけは絶対に治らないしお金の計算もガバです。何故。なぜそこはルーティン外なんだ私。おもろすぎ。
母曰く
「あなたの感性がぶっ飛んでるのは確実にこれ(ASD)のおかげだから作り出した私に感謝して」
……いやそのいい草もぶっ飛んでるだろ感性。
周りの反応はこんな感じです。
父は少し受け入れにくいようでしたが諦めも兼ねて今は関わりを考えてくれているようですし、、もし今判定が出たけどなかなか言いにくい……と思っている方がいれば
こんな家庭もあるんだよと背中を押せたら幸いです。
__________________
ここからつまらなくなる可能性がありますが、とても真剣に書いていますので目を通していただける方はそのままお進みください、。
ただ、まあ
少し真面目な話をすると、いくら当人が気にしていないといえど あまり喜ばしくない不名誉な偏見がまかり通っているのも事実ではあります。
自称ADHDの問題が度々上がりますが、自称ASDはとても少ないというのが私の印象です。
それもそのはず、誰だって人の気持ちがわからない、だの 表情がない、だの サイコパス予備軍だの。そういう点でとても取り沙汰されているものになりたくはないですよね。少し調べただけでかなり出てきます。
そういう偏見が混ざりやすいのがこのASD
私の場合は知的な遅れを伴わない、少し前の言い方ですといわゆるアスペルガー症候群という発達障害です。
とはいえ、本当にASDの配偶者…身近な人に苦しめられてトラウマを抱えている人も多数だからこそ声も大きくなっていったのだと思います………そこが難しいところなのですが。
おそらく「ASD、アスペルガーの人は人の気持ちがわからない」という情報を知っている人は、寄り添う気持ちがあるからこそ、調べたり聞いたりしてその情報を得たのだと思います。
ですが、……というより。
だからこそ、一度立ち止まって考えてみて欲しいのは
「健常者は人の気持ちがわかるのか?」というところです。
言わなきゃわかんないよ、と人は言います。
当然です、心は見えないものですから。
お互いに同じ「見えない心」をもっているのに、ASDだけは「気持ちがわからない」と一蹴されてしまうのでしょうか。
だとしたら、そうではない健常者は、心が見えてわかるのでしょうか。
そんな簡単な事ではないはずです。
結局のところ人間は言葉を介してしか気持ちをわかる術は無いんじゃないかな…と思っています。
なので、私は当事者の肌感覚として
ASDは「気持ちがわからない」のではなく、「気持ちの分かり方が異なる」のではないかと思っています。
例えば、「怒り」をぶつけられた時。
ムカついた!うざかった!と言われても、私は確かに「わからない」と思います。
怒りは芽で、その下には根があります。
その根は「不安」なのか「寂しさ」なのか、あるいは「嫉妬」なのか「甘え」なのか。
ムカつく!だけでは「わからない」のです。
時々、それを言葉に出してしまうと
「いや、なんで怒ってるの?」となってしまい、トラブルの元になったり、気持ちがわからない人、という評価を受けたりします。
なんで、は なんで、で。
怒られる筋合いがない!という意味ではなく、何故あなたはその怒りに駆られたのか?その原因は?という意味で伝えているわけです。
つまり、「なんとなくこうだろう」という自分の想像ではなく、相手から伝えられる「こうだ!」という事実が知りたいと思うのです。
私の想像が相手の本音と合致する保証もありません、だからこその「何で?」なわけです。
逆にいうと私は全て(今まさにその状態ですが)伝えてしまうので、、それはそれでよく分かるとは言えとても鬱陶しいのだろうな、…と少し省みては悲しくもなりますが()
自己弁護をしたい気持ちはあるのですが、やはりこれはとても傷付ける言い方なのだと思います。そんな根底の話なんて今はしていないし、ただ傷ついて反応した自分の感情を受け止めてほしい、と。そういうことを伝えたかったのかな…と考えると、あぁ、こういう所かなあ…と考えたり、謝ったりを繰り返しています。
こんな感じで。
ASDの人も結構色々考えているんですよ。
……多分、地球じゃないところで、ですけど。
暗い話はこの辺りにして、今後は「アスペルガーの楽しいせいかつ」みたいな話を書こうかなと思います!!←
いや、本当に面白いんですよ。
初めは障害者…と落ち込んだのも正直ありましたが、、一旦受け入れてしまえば自分の特性がかなりギャグセン高いな…と思えるようになりますので()
案外そんなもんです、ご安心ください( ˘ω˘ )
それでは!
夢と希望の過積載によって道は閉ざされた……かに見えた…!!!と思いきやなんか交通整理の人いた
おはこんばんにちは!お久しぶりです谷屋です。
無事に教員採用試験(前ブログ参照)を終えて、先日ついに結果が出ました!!
1次選考を通過し、命運分かつ2次選考………
……………で、落ちました。(´>∀<`)ゝ
いやー、さすがに採用17人だとは思いませんでしたね、、、、
いいんですよ1次通っただけすごいんです。すごいんです、異論は認めません。
さて、そんな谷屋ですが、あのですね。
ひとつ言いたいことがあります。
心して聞いてくださいね。
………
……(まだかな)
…………………(早く言えよ)
本当に、、
…………………本当に
本当に大丈夫です!!!!!メンタル!!!(天も張り裂けんばかりのクソデカボイス)
あの、なんか、めっちゃ気を使われるんですけど別にそこまで落ち込んでないんですよね。
だって考えてごらんなさい、
「谷屋の当落によって来たるシンギュラリティのニューワールドオーダーによってもたらされるエイリアンの襲撃を防ぎ、5Gの世界を救うことが出来る」(あまり分かっていない)だとか、「教採に落ちたら夕食のうちの5口に1回程度の割合でカミソリの刃が仕込まれるシステムの家系出身」だとか、まして試験期間中に「家中で合格祈願の大祈祷大会が開催されていたのを家鳴りだと言い張って眠る日々を過ごした」って訳でもないんですよ?
まあ現実的な話をするとしても、落ちたとて無職になる訳でもないんですよ(常勤講師)
………え、良くないですか?だめ?
そりゃ残念でしたしめっちゃ悔しかったんですけど、それは個人で完結する範疇では?
ちなみに谷屋の大丈夫加減はこちら。
当日のインスタのストーリーですね。
焼肉食ってます。
元気です!!!!!!!!!
せいぜい谷屋自身の被害と言えば、あれだけイキリ散らかしておいて「レジェンド」の「レジ」くらいまでで「エンド」してしまっていることから、行き着く先はもしかしたらレジギガスだったかもしれないということくらいのもので(は?)
さらにいえば1番のダメージは合格祝いに予定していた叔母からのドクターマーチン(6ホール)が無くなったことなので本当に大丈夫ですしなんなら叔母の財布を救いました。
なんか、これ別に今回に限った話って訳でもなくて色んな場面で言える事なんですけど、「被害者らしくあれ」「不幸であれ」っていう謎の圧感じる時ありません?
いやもうさ、
うるせーーーってんですよマジで。
超絶エレクトロニクスうるせえ。 ギガンティックマキシマムハイパーデオキシリボ核酸うるせえ。スーパーウルトラギャラクシー霧ヶ峰黙れ。
自分の考えうる「被害者像」に当てはめて蔑むことでようやっと同情する余裕ができるような人間の精神は完膚なきまでにぶち壊していく所存です。(はかいこうせん!!!)
そうなんですよ、ほんとこんなの「指先で送る君へのメッセージ~fuck you~」で終わる話です。その人がどんな感情を抱こうが、それを慮ることはあれど、自分の推測を正義にして押し付けることはまっっったく話が違います。
極めつけにはもう、「本当に被害者なら○○〜」みたいな、あれは、本当に、もう、(この世界に蔓延る全ての言語からなる罵詈雑言の限り)ですよ。
そういう、「周りの顔を伺わせる」「自分を立たせる」考え方が、形だけの謝罪でしょげた顔してる人が「反省してる」にとられるような長い物くるくるキャンペーンの社会を作り上げたんでしょうが!!!ええ!!?!?
………フゥ、
すみません、話が逸れましたね。
いやそこまででもないか。
ともかく!谷屋は元気にしています。
たまにこれみよがしに落ち込んで物を強請るかもしれませんが断った瞬間舌打ちをして居直るので大丈夫です(人間性)
さて!!!次なる敵は卒論ですね!!!!!!
谷屋 vs 教授のバトルが今も繰り広げられている最中です。
ではまた!
次回のブログでお会いしましょう👏
神は乗り越えられる壁しか与えないというので私はロッククライマーになりました。梯子をくれ。
……って思うじゃないですか?私腕力ないんですよね。終わった。
今は満身創痍で岩壁を見上げて横たわっています。空がきれいだなあ…フフ………
どうもご無沙汰してました谷屋です。
今の今までネット上に浮上しないで一体何をしていたんだ、お前は呼吸とツイートと創作で心肺を動かしていたのではないのかとご心配をおかけしたと思うんですが、なんと私教員採用試験を受けるためにひたすら勉強していたんですね。(無事に合格した暁には「谷屋先生」と呼ばせてやらぬことも無い、喜べ諸君)
さて、心優しき読者諸君は今頃、「教員採用試験を受けるということは当然教師になりたいということで、つまり谷屋は勉強ができる/好きだ」と思われることだろうが。
そんなことは。
ない!!!!!!!←
どちらかというと勉強は大嫌いだし、興味のない教科書なんて30分も眺めていたらいつの間にか瞬きが長くなり頭がすっきりして……(灯~ごはんよー!‼)(はーーい!!)
……ほんっとうに勉強嫌いなんです私。
高校受験さえ12月からやっと進研ゼミの貯めていた課題を5個くらい一気に送り付けるという悪魔の所業を行い、赤ペン先生泣かせの谷屋と異名を授かりました。ちなみに同時進行で灯泣かせの母も存在していました。
そんな感じでひぃひぃ言いながらやっと受かった高校は農業高校で、そこでもやはり一般的な五教科の学習というよりは専門的な資格を取ったり遺伝子をこねくり回し(?)たりしていました。この辺りは私の人生のなかでもめちゃくちゃ面白い時代の一つなのでまた別の機会に書こうと思いますが、「勉強」に関していえば理系科目はクラスの最下位は当たり前、たまに数学で50点を超えると担任にカンニングを疑われて笑われる有様でした。あ、ちなみに!国語は基本1位か2位でしたよ(ドヤ)
そんな私が一念発起して教員採用試験を受けるにあたって、「勉強しないとまずい…」と理解できたのはなんと去年の12月頃でした。
勉強の仕方がわからない、という当時21歳とは思えない台詞をぶちかまし、手始めに過去問を解いてみようと手を付け始めた瞬間。
は。
なんだこれは。
その当時の恋人でさえ「いや受からねえだろ」という顔をしたのを私は見逃さなかった。
これはさすがにまずいと思った。シンプルに。
しかし!!!!!
私にはとっておきの秘密兵器がありました。
今回私が受けた教員採用試験は「中学校社会」の区分でしたが、私の通う大学ではどうやら私が史上初の挑戦者だったようです。教授陣も私の正気を疑ったことと思いますし、今の私でさえも「あぁ、とうとう厨二病を拗らせるがあまりこの世界をパラレルワールドと勘違いしてしまったのだな、かわいそうに…」と同情の涙を流してしまうかもしれないと思っています。
ただ、私は本当にアホでした。
前例がない、だと……!?これはもしや
もしや私は…伝説~LEGEND OF TANIYA~として名を馳せることができるのでは…?!
教授「本当にいいのか?ここは一応初等教育科なんだぞ?」
私「やります。伝説残すんで垂れ幕用意しといてください」
この世界一不毛なやり取りを終えてから、私の人生初ガチ勉強が始まったのでした。
中学校では平均点取れたら大拍手、高校は理系農業科、大学は初等教育メイン、この状態でなぜ大丈夫だと確信できたかといえば、それはやはり私の馬鹿さ加減ゆえの現実の見えなさだと思いますが、世の中馬鹿ほど怖いものはないのです。
周囲からもらえるアドバイスをすべて鵜呑みにし、全くその通りのやり方/スケジュールで半年間完璧にやり切りました。
いくつか勉強の過程の写真を載せますね。
どうですか??????(褒められ待ち)(素直か!)
私の秘密兵器は「受けてもないのに落ちるかどうかなんかわからん」「間違えてるってことは伸びしろがあるってことや」「結局本番の試験で何が出るかわからんのやから、たまたま得意分野しかでんことだってあるやろ。ある程度頑張ったらあとはもう運ゲー的なとこある」「これで受かったらめちゃめちゃかっこよくね!?一生自慢できるやんか!!!」と、常に現実が見えていn……
ポジティブな思いを持ち続けたことだと思います。
だからこそ、きちんと勉強と向き合った後半は死ぬほど不安で、初めて勉強で泣くなんて経験をしました。まぁ頭の片隅で「うわ…これ受験生っぽい……ブログに書こ…」って思ってたんですけど(´>∂`)
実際受かってるかどうかは本当にわからないです。
でも、あれだけ勉強嫌いで避け続けた自分でもこれだけできるんだということが分かったのは、これからの私の人生に有意義な記憶として残ると思うんですよね。
あ、受かってたら追記するのでほめたたえてください!!笑
お久しぶりのブログは近況報告になりましたが、これからはもうしばらく勉強しなくてもいいので←
またいろいろ更新再開しようと思います。
ではまた!次回お会いしましょう◎
ポン酢かと思って結構な量かけたら醤油だった。しょうゆうことってあるよね。
こんにちは、お久しぶりですね。相変わらずタイトル出オチな谷屋のブログです。
でもたまにやらかしません?こういうの。…あ、やらない?はい。すみません。(正座)
さて、そんなお茶目谷屋の生息地は本州のど真ん中の海無し県なのですが、どこかおわかりの方……朝井リョウさんや奥田英朗さんが有名で水と土が名産の………twitterに搭載された動く写真みたいな……(それは違う)
おっと、上からGoogleマップのピンが降ってきたのを華麗に避けて話を進めよう。
海がないからなのか何なのか、時折私の全身が魚を欲する時がある。そういう時は太古から受け継がれし大和の遺伝子が騒ぎ立てるのだと解釈しているが、『今日の私は魚を食べる、誰がなんと言おうと私の夕飯は魚だ、魚魚(ウォウォ)イェイイェイ』みたいなテンションの日に限って「唐揚げよ~」とLINEが入るのだ。分かっている。唐揚げ美味しい。もぐもぐ。
そして稀にくる私の魚欲と母の気分が合致する時、食卓に並ぶ刺身を前に私は舌鼓を打つのだが、この時だった。
まさにこの時だった。
私が、
ポン酢と、醤油を
間違えたのは。
………いいんですけどね別に。どっちも合うし。でもちょっと悲しかった。おや、少し塩味が強いな…フフ
でもパッと見ただけじゃわかんなくないですか??黒いし。液体だし。や、まあそりゃ匂いとか違うしよく見たらポン酢の方が透明度高いですよ。わかりますよ。わかるけども。はいはい見た目で判断しようとした私が悪うございました。
やはり見た目だけで判断しようとすると痛い目を見る。
見た目だけ、という話をするなら私もアジア人で目がふたつで鼻がひとつなので綾瀬はるかと言って過言ではないし、二足歩行をするのだから実質佐々木蔵之介だと思って差し支えない。谷屋aka綾瀬・佐々木・はるか・蔵之介である。そういう事だ。
つまりそれくらい見た目で人を判断しようとするのは愚かなのである。わかったか谷屋。人類であることにしがみつこうとするな。お前はお前だ。
その人がその人であるがゆえの魅力というのは確実にあるのだが、「似通っている」という事だけを切り取ってひとつの同じ括りに入れてしまいたくなるのが人間の悪癖であろう。私も刺身の中ではヒラメが一番だと豪語してはいるが、魚の状態でカレイとヒラメをぽんと置かれたら一瞬迷ってしまうだろうと思っている。それに関しては私が海無し県に在住していることを言い訳にしたいのだが、対人でもそういうことがあるかもしれない。つまり、各自の生育環境や経験がその判断力の基礎になっている場合があるという事だ。
出来ることなら、その人自身を見つめて、どんな味を持った人なのかを中身で判断していきたいものである。もしかしたらポン酢でも醤油でもなくソースかもしれないのだから。(そーッスね)
さて、そんなことを考えながら今日の夕飯は……とふと思ったところで、友人から連絡が入った。
「飲み行くのいつにする?」
よし。
今日は肴の気分だな。
人間関係お手上げ-プチョヘンザ-状態
大変長らくお待たせ致しました。お久しぶりの谷屋ブログです。
さて皆様、四月ですね。ご入学、あるいはご卒業おめでとうございます。今年の春は特に様々な出会いと別れがありました。新たな元号とともに私自身も一新したい所存です。
さて、そんな春といえば春休みですが、
趣味:インドア
友人:片手に収まる
属性:ド陰キャ
そんな三拍子揃ったヘレン・ケラー大学生が貪る春休みはだらだら長いだけで何の生産性もないのです。全部バイトしました。
……………こうはなりたくないだろう?(背後から肩にそっと手を添える)
春の息吹と共にNEW谷屋になってちょっと高尚な文を書いてみようかと思ったんですけど、無理でしたね。すぐ化けの皮剥がれる。むしろ剥がす。サウイフモノニワタシハナリタヒ。
いわゆる「猫被り」をしてみたのだが。……うーん、猫を被れるならまだいいんだ。猫をこう、なんと言うか、頭上に載せる程度で満足してしまうからいけない。猫ずり落ちてんぞ谷屋。載せろ。(違う)
そう、春といえば出会いの季節。学生諸君ら…職場を新しくされる方もそうだろうが、やはり一番気になる所は「人間関係」ではないだろうか?
学び舎たるもの勉学に興じるのみ、友人などと嘯いて享楽に耽るなどとんだ恥晒し者よ…と思われる方はもう少し自分というものを見つめ直して本心を語ることを学ぶが良い。何故ならそれは過去の私と酷似した症状だからである。その病は大人になるにつれ手の施しようがなくなる。早期発見が鍵だ。
春。出会いと別れの季節、そこで新たに出会う人間とは出来るだけ波風立てず穏便に過ごしていきたいと願うのが人の常。
そこで、私は少々内省的な文章を書く機会の多い人間を代表して読者諸君らに声を張り上げて言いたい。
あえて言おう!!!!!
絶対に猫を被るな!!!!!!!!!
もう一度言おう。
猫を!!!!!被るな!!!!!!!と。
これは何も、いきなり心のドア全開で突き進めという訳では無い。そんな事をされたら引く。
端的に言ってしまえば、張り切り過ぎるなと言うことだと理解してもらえれば近いと思う。
例によって谷屋の経験談からその意図を紐解きたい。
さて、世の中には「話せるタイプのコミュ障」が一定数存在する事をご存知だろうか?
その内訳も数多く存在するのだが、谷屋的分類によるとざっくりこんな感じだ。
・一方通行型 -会話が噛み合わない
・特定の話題型 -自分の興味が向けば話せる
・印象変化型 -「何かイメージ違う!」率高い
今回の猫を被るな説に一番関わりが深く、なおかつ私自身の持つ特性としての分類は三つ目の「印象変化型」だ。そしてさらに、私の場合は「第一印象良すぎ型」なのだから始末に負えない。
……ん?何が悪いかって?
シンプルに説明するならば「雨の日の不良理論」が使えるだろう。人はマイナスの印象からプラスの印象に移し替えることは割合簡単に出来るのだが、その逆となるとなかなか難しいものである。急上昇と急降下なら、後者の方が危険度は高い。
もう少し詳しく説明していこう。
私は面接がすこぶる得意である。エントリーシート系の趣味、特技の欄に書いてしまいたいくらいである。それは嘘だ。しかしある程度自信を持って臨むことが出来るのは事実。加えて、現在のアルバイトは掛け持ちのふたつとも販売接客だ。個人売上もなかなか高い方だと自負している。
…と、ここまでイキリ散らしたが、先程述べたように友達は片手に収まる量だ。なんなら友達と言いつつも私からの片想いだったらどうしようかと考えて会いたくて会いたくて震えて夜しか眠れなくなっているくらいなのだが(快眠!)
一体なぜこんな食い違いが起こるのかと言うと、それはズバリ「その場限りの会話」だからなのだ。
冒頭の猫被りを例に出すならば、一瞬なら猫を乗せていても落ちてくることはない。なんなら「谷屋猫」みたいなマスコットさえ出来そうな勢いで何やら可愛らしくふわふわしたイキモノの様相を呈することさえできるだろう。
ただ、これを何日も。あるいは何度も続けた場合は、中身のぬぼっとした根暗眼鏡が見え隠れし出すのである。
高級感のある桐箱から出てきたものが魚の骨の食べ残しだった時のようなガッカリ感。それが「第一印象良すぎ型」の最大の欠点である。
もちろんいいこともある。一瞬の会話を成立させるにおいては強みでしかない上、そのギャップが上手くハマれば長く付き合うことも出来るのだ。
ただ、どうしても張り切って上乗せした部分は剥がれ落ちたあと元には戻らない。単なるハゲになるだけだ。
無理して頑張った挙句痛い目で見られるなんてことになるよりはむしろ、おとなしめの印象から入った方が余程安心できるだろう。
さて、だらだらと語ったが。
結論としては「最終的に仲良くしたいと思う相手がどれだけ増やせるか」が鍵なのだ。
この人とずっと仲良くしたい、と思うのであれば自ずと中身を出さざるを得ない。その方が友達を増やすことよりももしかしたら重要かもしれないとさえ思っている。
自分がどんな人間であれ、受け入れる人は受け入れるしそうでないなら離れていく。
私は受け入れられる率の低い特性を持っているようだが、それでも何とか生きている。
ので!大丈夫です!!!!ほんとに。
弟が今年大学に入る際、酷く怯えていたのでついでに少し長めに語ってみました。どうでしたでしょうか、久々で張り切っちゃったかな。…猫取れてない?←
次回はまたライトな感じに書きますね~
※何か書いて欲しいネタがあれば緩募してます。
考査思う、故に考査あり。
テスト。あるいは考査、試験。その3文字の言葉を心に思い浮かべるだけで私の視界は曇り天は裂け大地は唸り雨が降り槍が降り天地は鳴動し教授は檄を飛ばし「タンイ、タンイ」と人は嘆く。
こんばんは、あるいはこんにちは。皆さまご存知、谷屋灯です。
随分お久しぶりですが私の周りでは天は裂け大地は唸り雨が降り槍が降り……(ry だったのであけおめツイートが精一杯でした。
しかし!!!今日でそれも終わりなのです!!!!!!もうレポートの推敲で2、3時間しか寝られないことも模擬授業の組み立てを考えてお腹を下すこともないのです!!!!!←
さぁ心ゆくまで私を労るがいい。最後まで孤軍奮闘した私を労れ。労るんだ。
いやぁ……大変だったなァ…フフ
突然フリーズして吹っ飛ぶデータに「どお''お''お''じでだよ''お''お''!!!!」とただ叫ぶ事しか出来なかったあの日々……「単位を寄越さねぇなら冷凍カジキマグロで殴り倒すか本格直輸入フォアグラを代引きで送り付けるしかねぇ…その選択、後悔と呼ばぬようにな…ッッ」という視線を送りながら答案用紙にかじりついたあの日々……
………ん?模擬授業?
あァ、あれね。(鼻ホジ)
でも思うんですよ。
教育学部だからという話ではないのですが、テストってやっぱり必要なものなんだなぁとは思うんですよ。他者との比較のためと言うよりは、自分の過去に対する比較のために。小難しい言い方をすると形成的評価、というのですけど。(習いたてを使いたい←)
わかっちゃいてもやりたくない。そう、たとえ今教授が死んだら1単位無条件で………なんて心の端でも思ってはいけないのと同じように。
………思ってないですよ?(´>∂`)
唯一今回のテストで救いだったのは、レポート形式が多かったところですね。我々のような民は得てして答案形式よりもレポートの方をありがたがり、周囲から奇異な視線を向けられる業を背負うものです。
そこで、しばしばこういうことが起こります。
「谷屋ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙レポート見せてええぇえ」
「ほい」
「……何その手」
「一文字5,000円」
「死ね!!!!」
当然である。
私の睡眠時間をお前の授業中触ったスマホに取られた時間とを天秤で測るんじゃない。
…………でも数学は教えて|´-`)チラッ
ある人々にとっては、テストは決して個人レースではないようだ。いかにしてツテを作り連帯責任で単位を獲得するか。すなわち、彼らの切り札は「学力」ではなく「コミュ力」にある。
個人的にはそれに関してずるいともなんとも思わないし、はっきり言って賢いとさえ思っている。私自身も弟にはそのように伝えている。彼はこんなスカシストではないので、さくっと友達を作ってサクッと単位を取得しサクッと卒業し社会を円滑に渡って行くだろうと思う。ずるいともなんとも思わない。別に勉強しないなら単位を取ったところで身に付いている訳じゃないなんて思っていない。ずるいともなんとも思わない。ただ、おこぼれをくれと思う。
………うるせぇ勉強しろ!!!!!!(本性)
学生の睡眠時間を削り、人間関係を悪化させ、インフルエンザに戦々恐々としながら単位への道を切り開いていく様を教授は高みから見下ろしているのだろうと思うと、負ける訳にはいかなかった。
そして本日、長きに渡る戦いについに終止符が打たれたのだ!!!!!!
単位は知らん!!!!!!成績は後日!!!!
ただ、今日という日を祝おうではないか諸君!!
あ~~~~~~~~~、疲れた。
テスト。あるいは考査、試験。
我々学生の心を蝕む、教授からの愛のムチ。
海外児童文学を読むと1度は憧れるアレ
別に自慢ではないのだが、谷屋家には薪ストーブがある。そして別に自慢ではないのだが、ログハウス調の戸建てに煙突という外観をしている。そしてさらに自慢ではないのだがハーブの植わった庭付きの駐車場が(ry
そしてこれは自慢なのだが、この素晴らしい薪ストーブの真ん前の特等席は、誰がなんと言おうと私が座る権利を有するんである。
薪から発せられる遠赤外線でじっくりこんがり香ばしく……もとい、じんわりと温められながら読む小説は極上に幸せなひとときを提供してくれるのだ。
こういったある種の自然回帰的なコンセプトは、谷屋マザーの素敵なご趣味の一環である。
この家の設計に携わったのはだいたい谷屋マザーであり、谷屋ファザーはめんどくさい顔をしつつも、凝り性な性格と薪ストーブの細かな世話を要する点が合致してなにやら楽しそうに夏の暑い中薪をせっせとまとめて冬に備えていた。谷屋ブラザー(弟)はバキバキと薪を割り、私は部屋の中でコーヒーを啜っている。
まさに一家総出の冬備えであった。
………備えであった。
……
一輪車に積んで運ぶくらいはしました!!!💥💥💥
(咳払い)
ともかく、冷え込みの厳しいこの時期に薪ストーブというのはとても良いものである。
遠赤外線もあながち冗談というわけでもなく本当に効果があるらしく、ついていれば薄っぺらな長袖1枚で過ごせてしまうほど温かい。暖房では味わえない炎の感覚は1度覚えたら病み付きである。
初めは少なかった薪の量が一本、二本と増えていく。燃える炎の揺らめきが心を落ち着けていく。空気の量を調節し、さらにまた薪を入れていく。消えないように、消さないようにじっと温度計を見つめている。もう一度薪を入れる。ごう、と燃えていく。温かい。片時もそばを離れられない。もう一本追加する。もう頭の中はストーブで埋め尽くされている。ああ、ストーブ。薪ストーブを私は愛している。ストーブ、ストーブ。もう離れられない。永遠に連れ添う覚悟だ。もうストーブのことしか考えられない。ストーブ、ストーブを寄越せ!!!!!ストーブが足りない!!!!!!ストーブをおぉア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙
『薪ストーブは友達の振りをして、近づいてきます』
NO MORE 薪ストーブ。
………ハッ、気を失っていた。
しかし、炎というものは我々人類の有史以前より存在していたものである。DNAに刻まれた愛着であろう。実際とても穏やかな心持ちになることは確かだ。
そして薪ストーブといえば、私はひとつ憧れていたことがあった。
ストーブの前に置いたロッキングチェアに座って本を読む、いわゆる海外児童文学によく出てくるおばあさんのアレである。3年前の私は薪ストーブがつくとわかった瞬間に、「絶対におばあさんのアレをやる」とかたく心に誓っていた。
____そして、初めての点火の日は訪れた。
ロッキングチェアがなかったので、代用のダイニングの椅子を運んでストーブの前に意気揚々と設置する。既に父が薪を放り込んでおり、ガラス戸の向こうで炎が揺れていた。手に持っているのは「和菓子のアン/坂木司」である。
私は燃ゆる炎を感じながらゆったりと椅子に座り、本を開いたのであった。
結論からいえば膝が熱くなっただけだ。そういえば家族もなんだか冷ややかな顔をしていた気がする。…うん、まぁ、ちょうどいい。少し暑くなってきたところだった。別に恥ずかしくて赤面している訳では無い。このストーブの性能が高いので直ぐに温まっただけである。
いそいそと片付ける私に背中からクリーンヒットな声が掛かる。
「灯、もう椅子いらんの?」
「えっあっ、うん」
「なんか違った?」
「……ん」
多分ちょっと拗ねたがなにぶん高校生の時の話である。容赦して欲しい。
つまり何が言いたいかと言うと、ミス・マープルはフィクションであるという事だ。(は?)
というわけなので、おばあさんのアレは諦めて今はストーブの前に置いた絨毯をフル活用している。日本猫のように丸まってごろごろしているので最近では弟にさえ「灯の席あっためといた」と言われる始末である。(あ、そうそう。弟には下の名前で呼ばれているのだが、可愛いのでなんとなし許している。弟についてはまたいつか書こうかと……ハッ、誰かが背後に)
さて、今日も夜は冷え込んでくるだろう。
薪ストーブは今夜も温かい。
ビバ!ストーブ!人類の叡智!!