谷屋未遂

2/3の好奇心

海外児童文学を読むと1度は憧れるアレ

 

別に自慢ではないのだが、谷屋家には薪ストーブがある。そして別に自慢ではないのだが、ログハウス調の戸建てに煙突という外観をしている。そしてさらに自慢ではないのだがハーブの植わった庭付きの駐車場が(ry

 

そしてこれは自慢なのだが、この素晴らしい薪ストーブの真ん前の特等席は、誰がなんと言おうと私が座る権利を有するんである。

薪から発せられる遠赤外線でじっくりこんがり香ばしく……もとい、じんわりと温められながら読む小説は極上に幸せなひとときを提供してくれるのだ。

 

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こういったある種の自然回帰的なコンセプトは、谷屋マザーの素敵なご趣味の一環である。

この家の設計に携わったのはだいたい谷屋マザーであり、谷屋ファザーはめんどくさい顔をしつつも、凝り性な性格と薪ストーブの細かな世話を要する点が合致してなにやら楽しそうに夏の暑い中薪をせっせとまとめて冬に備えていた。谷屋ブラザー(弟)はバキバキと薪を割り、私は部屋の中でコーヒーを啜っている。

まさに一家総出の冬備えであった。

………備えであった。

……

一輪車に積んで運ぶくらいはしました!!!💥💥💥

 

(咳払い)

 

ともかく、冷え込みの厳しいこの時期に薪ストーブというのはとても良いものである。

遠赤外線もあながち冗談というわけでもなく本当に効果があるらしく、ついていれば薄っぺらな長袖1枚で過ごせてしまうほど温かい。暖房では味わえない炎の感覚は1度覚えたら病み付きである。

 

初めは少なかった薪の量が一本、二本と増えていく。燃える炎の揺らめきが心を落ち着けていく。空気の量を調節し、さらにまた薪を入れていく。消えないように、消さないようにじっと温度計を見つめている。もう一度薪を入れる。ごう、と燃えていく。温かい。片時もそばを離れられない。もう一本追加する。もう頭の中はストーブで埋め尽くされている。ああ、ストーブ。薪ストーブを私は愛している。ストーブ、ストーブ。もう離れられない。永遠に連れ添う覚悟だ。もうストーブのことしか考えられない。ストーブ、ストーブを寄越せ!!!!!ストーブが足りない!!!!!!ストーブをおぉア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙

 

『薪ストーブは友達の振りをして、近づいてきます』

NO MORE  薪ストーブ。 

 

 

 

 

………ハッ、気を失っていた。

しかし、炎というものは我々人類の有史以前より存在していたものである。DNAに刻まれた愛着であろう。実際とても穏やかな心持ちになることは確かだ。

 

 

そして薪ストーブといえば、私はひとつ憧れていたことがあった。

ストーブの前に置いたロッキングチェアに座って本を読む、いわゆる海外児童文学によく出てくるおばあさんのアレである。3年前の私は薪ストーブがつくとわかった瞬間に、「絶対におばあさんのアレをやる」とかたく心に誓っていた。

 

____そして、初めての点火の日は訪れた。

ロッキングチェアがなかったので、代用のダイニングの椅子を運んでストーブの前に意気揚々と設置する。既に父が薪を放り込んでおり、ガラス戸の向こうで炎が揺れていた。手に持っているのは「和菓子のアン/坂木司」である。

私は燃ゆる炎を感じながらゆったりと椅子に座り、本を開いたのであった。

 

結論からいえば膝が熱くなっただけだ。そういえば家族もなんだか冷ややかな顔をしていた気がする。…うん、まぁ、ちょうどいい。少し暑くなってきたところだった。別に恥ずかしくて赤面している訳では無い。このストーブの性能が高いので直ぐに温まっただけである。

 

いそいそと片付ける私に背中からクリーンヒットな声が掛かる。

「灯、もう椅子いらんの?」

「えっあっ、うん」

「なんか違った?」

「……ん」

 

多分ちょっと拗ねたがなにぶん高校生の時の話である。容赦して欲しい。

つまり何が言いたいかと言うと、ミス・マープルはフィクションであるという事だ。(は?)

 

というわけなので、おばあさんのアレは諦めて今はストーブの前に置いた絨毯をフル活用している。日本猫のように丸まってごろごろしているので最近では弟にさえ「灯の席あっためといた」と言われる始末である。(あ、そうそう。弟には下の名前で呼ばれているのだが、可愛いのでなんとなし許している。弟についてはまたいつか書こうかと……ハッ、誰かが背後に)

 

 

さて、今日も夜は冷え込んでくるだろう。

薪ストーブは今夜も温かい。

ビバ!ストーブ!人類の叡智!!