谷屋未遂

2/3の好奇心

高所恐怖症なので自意識の高さに足が竦んでいる。

 

え、出オチやんこれ。

タイトル良すぎやろ。え、もう無理やん。良すぎる。これが全てやん。はい終わり。解散。

……いやだってこれ以上言うことないし。さっきからタイトル何回も見返してため息ついてる。これ書ける私ってもしかしたらいわゆるあれ、「天才」なのでは?そうである可能性を孕んでいるのでは?

 

 

はい、もう皆さんわかりましたね。

ではご一緒に。さんはいっ

 

「そういうところやぞお前」

 

 

 

 

こういうところですわ。

全然思ってないです。天才だなんて。せいぜい一般人より書ける程度です。(は?)

 

思春期の芽生えと同時に、人はある種のナルシズムを抱えることになるというのは誰もが思い当たる節なのではないかと勝手に思っているが、どうやら私はそれが抜けずに成人を迎えたらしい。

高校生あたりで絶頂を迎えて、そこからは現実という名のエスカレーターを下っていくのが一般的なはずだ。だが私は方向音痴ゆえそのエスカレーターを見失い、現実逃避というショッピングモールに置き去りにされている。

 

 

 

さて、皆様方は「共感性羞恥」というものをご存知であろうか。要するに「恥ずかしいことをしている人を見ると自分も恥ずかしくなってくる」というようなものだ。

私はそれが激烈に強い。「人間失格/太宰治」なんてもうまともな顔をして読めない。苦虫eatingな顔になる。噛み潰す所ではない。丸呑みだ。…ウッ、想像してしまった。

 

羞恥に共感し、私は強く意識する。

こうはなるまい。こうはなるまい、と。

 

…そしてなる。

 

はっきり言ってならないのは無理だ。人が生きている限り、恥をかかないのは無理だ。

でもかきたくないのだ。私は笑われるような矮小な人間ではないとどこかで思っている。つまるところ、精神性としては「俺は東京出てBIGになっからよォ」と深夜のファミレスで宣うヤンキーバンドマンと同じである。

だが、自意識タワーの展望台から人々を眺めている私はこう思うのだ。

「うっわ、恥ずかしい奴だな現実見ろよ」と。

 

さんはいっ

 

「お前もな!!!」

 

あえて言おう。そのヤンキーバンドマンの方がはるかに恥ずかしくない。夢を言葉に出しているし、きっと努力もしている。何より人目を気にせず堂々と恥をかいている。えらい違いである。

「能ある鷹は爪を隠す」とでも思っているのか?ふざけるのも大概にしろ。お前は爪を隠しているんじゃない。生えてないんだ。ふわっふわの羽毛の中にマシュマロのような精神を温めてるだけの飛べないただの鳥なんだよ。引き合いに出された鷹に謝れ。地を舐めて頭を垂れろ。赦しを乞うのだ。さぁ、その薄汚い顔を

 

……恐らくこういうところもそうだろう。

自意識タワーの原材料は顕微鏡のスライドガラスの上にかけるカバーガラス。少しでも触れようものならガラガラと崩れ落ち、あっという間に地上に尻もちをついて全身複雑骨折で救急搬送になること請け合いだ。

 

つまり、人に批判されたくない→先回りして自分を批判する→傷付くと同時に冷静な分析ができているような気もしてくる→自分を客観視できる私すごい!(タワー建設)

 

まさしく阿呆の思考回路だ。

だがこれも実の所、自分を低く見積もり穿ちながら考えているのだからあまり信憑性はない。

 

 

つらつらと並べてきたが、このままでは私がただの自意識過剰という話で終わってしまう。まぁ間違ってはいないのだが。

そこで、何が一番だめかを考えてみた。

 

恐らく「本当のナルシスト」ではないからだ。

 

本当に私が私礼賛主義者ならば問題はないのだ。自信のなさを根拠ゼロの虚栄心で満たそうとするからおかしな事になる。それではガラスのタワーでマシュマロ精神を飼うことになるに決まっている。

はっきり言って馬鹿らしい。が、私は更に本当の馬鹿らしい。

上り詰めすぎて降り方がわからないのだ。下を見ると足が竦む。見下ろすしかない。膝を大爆笑させながら、見下した振りをするしかない。

 

 

せめて、せめて助けを求めるくらいは出来るようになろうな。私。木に登った猫でさえ鳴き喚くぞ。

 

 

 

こうなったらラプンツェルよろしく、髪でも伸ばすべきだろうか。

コンディショナーを少し良いものに変えるところから始めよう。