谷屋未遂

2/3の好奇心

斜に構えすぎてむしろ横。

 

もしかしたら賢明な読者さまは既にお気づきかもしれないが、私はいわゆる「スカし」の癖がある。このブログや小説の書き口をみてもその特有の香ばしさは窺えるだろう。

ちなみにこの「スカす」は、もしかしたら方言の可能性もあるかと思い一応調べてみたのだが、「すましている、気取っている様」の俗語らしい。まァおよそそう言う意味で私も使っている。他称される時も恐らくそういった目で私を見ているはずだ。

 

この謎を解き明かすためには、ジャングルの奥地にあるアマゾンに向かう必要……はないがジャングルの奥地なみにじめじめとした私の半生を振り返る必要があろう。

 

遡ること10年ほど。

重い話は好かない質なのでここはさっさととばすが、小学生の谷屋はあほほど引っ込み思案ではちゃめちゃにいじめられやすい性格だった。死ぬほどや不登校ほどではないにしろ、クラスカースト上位の子たちが被る王冠で脛をガツンガツンとしばかれるような地味な嫌がらせが横行し、次第に趣味の読書の量がエスカレートしていく。この辺りから私の生息地は主に自宅か図書館となる。

 

余談だが、私のこの洒落臭い趣味嗜好(読書、映画や80年代洋ロックその他)は完全に両親の遺伝である。遺伝と言うと語弊があるが、それにしても遺伝子レベルで作用しているのでは?と勘繰らざるをえないほど移ってしまっている。恐らく私の子どももそうなる。今のうちに謝っておこう。お前の保護者になる人間はこんな有様だよ。すまないね。

 

閑話休題

 

 

そう、読書にのめり込んだ私は寝食を惜しんで本という本を読み漁った。夜、消灯したあとの月明かりを求めて窓の下で体育座りをしながら必死に文字を追うレベルである。しかしそれは、その後何年も続く長い戦いの幕開けでもあったのだ。

 

 

私は微かな光で本を読みながら物語に陶酔していく。扉の向こうで父はバラエティ番組を見ているのだろう、時折笑い声が聞こえてくる。

静かな時間だ。

 

__しかし、その瞬間は唐突に終わりを告げる。

 

隣の部屋でピコンピコンとゲーム音を鳴らしていた弟の狸寝入りの音が聞こえた瞬間、私はハッ、と気が付くのだ。

 

___来る、奴が。

___トン、トン、トトン。

 

軽快な足どりが、私の部屋の前で止まる。

息を詰め、私は布団を首まで被る。

ガラ、ッという音と共に眩しいほどの光が入る。

 

「アンタまたそんな暗いところで本読んで!!目ェ悪なっても知らんでね!!!」

 

あァ、大いなる母よ。

あなたの予言は間違いなく成就しました。

今私は牛乳瓶の底のような眼鏡を片時も離せず生活しております。

 

 

ともかくも、朝は本を読みながら登校し、昼間の図書室の日向を独占し、夜の攻防戦を駆け抜けた私はいじめられっ子から立派なコミュ障に成り上がっていた。

そう、つまりは人格形成に1番大切な幼稚園から小学生の時期をほぼ全て物語の登場人物と過ごしてしまったがゆえ、行き過ぎた想像力と劇画調の口調を習得してしまったのである。なお悪いことに、その当時1番熱を上げて読んでいた分野は推理小説であった。

 

シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、エルキュール・ポアロ。等々。

 

おわかりだろうか。このメンツの特徴を。

それこそがそう!!スカしであることを!!!

 

………ウッ、胸が苦しい。

しかしながら私はもう一段階その階段を登ってしまうのだ。前述した自意識タワーの建設が始まる瞬間である。

 

中学生、いわゆる思春期というものが始まった時期。青春の第1ページである。

がしかし、私は相も変わらず図書室に入り浸っていた。なんなら思春期特有の「自分は特別な存在だ」という壮大な勘違いもそのままに、小難しい小説を教室で堂々と開いて読み始めるという奇行を繰り広げた。多分引かれていた。私も引いている。せめてもの救いは校区の関係上、小学校から中学校まで生徒がほぼ変わらない「一小一中制」であったため、私が少々とち狂った子どもであることを知っているクラスメイトが大半だったことくらいだろう。

 

そして、中学二年生のある日。

それはちょうど授業中に窓ガラスからテロリストが入り込んでくるところを撃退する自分を空想して悦に入る時期であったか、それくらいの頃に、運命の出会いを果たしてしまう。

 

人間失格/太宰治」である。

 

これは私だ。

そう確信した。

 

全体的に意味不明かもしれないが、当時の私は「他者と関わりを持ちたいがあまり他人の目を気にしすぎてしまい、その結果他者と距離置く孤独スパイラルに絡まった文学オタク」と化していたのだ。いくら作中の彼が激高スペックヤバ男だったからこそ憂いを感じたのだと言われようとも、少しばかりの親近感はあってしかるべき。

 

衝撃の出会いだった。

 

それからはもうご想像のとおり、そして今皆様方の前にいる私が形成されている。

 

 

長々とお話してきたが、要するに私はスカしの英才教育を受けてきたと言っても過言ではないのだ。仕方がない。なるべくしてなったスカしである。直そうと思って直せるものでもない。

 

とはいえ、対人関係にあまり良い作用は与えない性質であろう。だがそれも運命よ。

走れ、谷屋。孤独という名の一本道を駆け抜けるのだ。追い風を感じて空を切るのだ。

 

 

賢明な読者諸君はお気づきだろうが。

………これは本当に直らなそうだ。