谷屋未遂

2/3の好奇心

初恋はレモン味って一番最初に言った人、怒らないから前にきなさい。

 

____初恋はレモン味?誰だそんなことを言ったのは。

私は独りごちる。

随分とひどい匂いじゃないか。こんなものなら家の隣を流れている用水路とだいたい同じだろう。まさに鯉……もとい、恋である。

 

………いやそれではいかにも格好がつかない。 酸いも甘いも噛み分けた大人の味だ。そういうことにしておこう。そうなのだよ。異論は認めません。ほら席に着く!!!

 

 

「こころ/夏目漱石」という名作がある。

大抵は中学・高校の国語の教科書に載っているはずだ。なかなか凄惨な恋の行方を書いたものだが、その中にこんな一文がある。

 

「しかし君、恋は罪悪ですよ」

 

この言葉を前にすると私は突然に語彙を失い、渋谷を闊歩せしめんとする女子高生の如き振る舞いを持って「それな卍」と声高らかに言わざるを得ない。

 

いや、ほんまそれな。

作中で使われたこの言葉の意図はこんな一介の教育学部生の過去を精算するレベルのものではないのだが、短い人生の中にもそれなりの後悔や失敗はあるものだ。

 

前置きが長くなったが、今回は私の過去の恋愛事情~報われない編~を綴っていこうと思う。

※筆者の精神上の不安定による文章の乱れにご注意くださいませ。

 

 

「好き避け」という現象をご存知だろうか。

相手を好きすぎるがあまり何となく目を合わせたり会話したりするのが気恥ずかしくて避けてしまうというようなものだ。これは、少女漫画かなにかで見る分には大変微笑ましく思うものである。その想いを知っているこちら側としては、エールのひとつでも送りたいくらいだ。

 

しかし、しかし諸君。この世は所詮主観と主観の交錯で成り立っているのだ。

 

誰がその内に秘めたる想いに気づいてくれようか?あるいは、察しようとするのか?そんな聖人君子はそこかしこに転がっているものなのだろうか?否、断じて否である。言葉にしなければ伝わらない。恥ずかしい?そんなものは甘えである。わかったか、そこのあほみたいな顔でブログを書いてるパーカー眼鏡!!!お前だよ!!!お前!!!!おま

 

(映像が乱れております。今しばらくお待ちください)

 

…エヘン。

ともかくも、あまり生産性のある行為とは言えまい。こう言いきれる理由は、私自身の経験則である。

結論だけ申し上げるならば、私は好き避けするがあまりに告白さえ出来ずに終わった過去があるのだ。…というよりも、ギリギリまで「自分がその子を好いている」という事実さえ分かっていなかった、というのが正しいだろうか。

どちらにせよ馬鹿である。

皆さまにはこんな三日煎り続けたコーヒーのような苦々しい思いをして欲しくない。恥を忍んで白状するのでぜひ繰り返さないようにしてくれたまえ、、

いつもより少し真面目に書いてみる。

 

__________

 

その子……Oさんとしよう。Oさんは特別目立つ人でもなかった。ひたすら陰で努力することを惜しまない人だった。放課後から遅くまで鳴らすOさんのバッシュの音を、体育館の外側から聞いていた。

 

同学年の子たちが2年生にあがり、先輩風を台風のごとく吹きすさばせている中でも「一緒にやるから手伝って?」とモップを手渡している姿はさながら大天使のように見えていた。もしかしたら背後にステンドグラスくらいは飾ってあったかもしれない。陸上部だった私は、バスケ部の使う体育館の入口付近の水道場をよく使っていた。今思えばあえて選んで少しでもOさんの姿を見ようとしていたのだと思う。その水道場は、陸上部が使うトラックから少し離れているからだ。

 

出会いはもうあまり覚えていない。ただ、よく同じクラスになること、席替えのたびに隣か後ろの席になること、それから給食をとても美味しそうに食べることを覚えている。班ごとに机をくっつけてまとまる時は、隣の席の子が正面に来る。「これめっちゃうまいんやおねー」と満面の笑みで頬張るOさんが目の前にいると、2年1組の大食漢と知られた私ですら少しだけ食べる量が減っていた。よく食べるなぁと思ってぼうっと見ていると、右から左へ流れていたお昼休みの放送が終わってしまうからだ。ご飯を慌ててかき込んで、軽くむせる。

 

 

なんとなく、居心地が悪い。

嫌いな訳じゃないはずなんだがなぁ、と思う。

 

 

大抵の人が経験するであろうが、給食後の授業はえげつない眠気に襲われる。今日の献立表にもしかしたら「眠気」があったかもしれない。しかも最悪なことに、その教科は道徳だった。

必要以上に頷き、少々人より長めに目を休める瞬きを繰り返す私を、Oさんはそっと鉛筆でつつきながら囁く。

「谷屋さん、横にナメクジいるよ」

「っぁぁああああ!?!」

ドッガラガッシャンッッ、ドダッ、バッ、ガンッ   エーナニナニードシタノータニヤサンダイジョウブ

 

…もちろん嘘である。

寝ぼけた私は信じ込んでひっくり返り、しばらく立たされていた。

ちらりと横を見ると、バツの悪そうな顔をしてOさんがコソッと私のノートの端に「ごめんね、やりすぎた」と書いた。「ばか」と口の動きで伝えると、Oさんはさっきより少しきれいな字で「寝るのが悪い」と書いて、今度こそ前を向いた。私はグウの音も出なかった。

 

Oさんが隣にいるとなんだかそわそわする。

居心地が悪い。上手くできない。いちいち気になる。ずっと視界にいる。困る。でも嫌いな訳じゃない。多分。

 

 

そんなある日。

部活終わりにいつもの水道場に向かうと、最近よく懐いてくれる後輩がぱたぱた着いてきた。

「谷屋先輩いつもここ使いますよね、遠いのに」

「あ、あぁ、うん。なんか好きなんだよここ」

じゃぁぁ、と水の流れる音が響く。

その後ろで柔軟体操が終わって解散してきたバスケ部の談笑が混ざる。

「もしかして好きなひといるんですか?えーっ、谷屋先輩そんなの興味無さそうなのに」

「そんなこと言ってないでしょ…」

「え、だって先輩いつもここの水道場使うとき体育館見てるんですもん。えー、誰だろうキャプテン?は好みじゃなさそうだしな…」

「やめろってもう、ほら戻れよ」

つらつらと同学年の名前を上げていく後輩を引きずりながら、いつもより語調を少し荒げた。何となく焦っているような気がする。

「うーんあとO先輩くらいしか思いつかn」

「うるっさいなぁ!!!早く行けって!!!」

後輩に怒鳴るなんてのはほぼ初めてくらいだった。後輩も私も驚いて、お互いに動きが止まったあと、後輩がふふっと笑った。

「谷屋先輩わかりやすくないですかそれは…」

「は?」

いやいやいや。それはない。ないから。

根拠もないけどそれは言い切れる気がするぞ。

 

「好きじゃないよ、てかなんか隣にいるといらいらする。多分苦手」

 

___時が止まった。

そうかなぁ…と首を傾げる後輩の向こう側を見て、私は顔を青ざめさせていた。

 

Oさんは、普段の優しそうなタレ眉をさらに下げて、そのくせわかりやすい程最高の笑顔を見せながら小さく手を振った。

 

……ように見えた。本当に聞こえていたのかどうかはその後も聞けていない。

 

 

谷屋さんは、永遠に「谷屋さん」のままになることが決定した瞬間だった。

 

__________

 

 

はい、いかがだったでしょうか。

谷屋の初恋劇場はこれにて終幕となります。

 

あのあと家に帰った瞬間涙が止まらなくなって、あんま好きじゃないはずなのになんで悲しいんだろう…もしかしてブロックされた人のアカウントを鍵垢でリストに入れて監視するタイプの人間だったのか自分は………なんて考えてたのですが、「好き避け」という言葉を教えてもらってからもう一度発狂しました。

めちゃくちゃ好きやんか。

 

賢明な読者さまたちはこんな事にはならないと思うのですが、鈍感さと臆病は妨げにしかなりません。

 

くれぐれも後悔なきよう。良き青春を。

 

 

斜に構えすぎてむしろ横。

 

もしかしたら賢明な読者さまは既にお気づきかもしれないが、私はいわゆる「スカし」の癖がある。このブログや小説の書き口をみてもその特有の香ばしさは窺えるだろう。

ちなみにこの「スカす」は、もしかしたら方言の可能性もあるかと思い一応調べてみたのだが、「すましている、気取っている様」の俗語らしい。まァおよそそう言う意味で私も使っている。他称される時も恐らくそういった目で私を見ているはずだ。

 

この謎を解き明かすためには、ジャングルの奥地にあるアマゾンに向かう必要……はないがジャングルの奥地なみにじめじめとした私の半生を振り返る必要があろう。

 

遡ること10年ほど。

重い話は好かない質なのでここはさっさととばすが、小学生の谷屋はあほほど引っ込み思案ではちゃめちゃにいじめられやすい性格だった。死ぬほどや不登校ほどではないにしろ、クラスカースト上位の子たちが被る王冠で脛をガツンガツンとしばかれるような地味な嫌がらせが横行し、次第に趣味の読書の量がエスカレートしていく。この辺りから私の生息地は主に自宅か図書館となる。

 

余談だが、私のこの洒落臭い趣味嗜好(読書、映画や80年代洋ロックその他)は完全に両親の遺伝である。遺伝と言うと語弊があるが、それにしても遺伝子レベルで作用しているのでは?と勘繰らざるをえないほど移ってしまっている。恐らく私の子どももそうなる。今のうちに謝っておこう。お前の保護者になる人間はこんな有様だよ。すまないね。

 

閑話休題

 

 

そう、読書にのめり込んだ私は寝食を惜しんで本という本を読み漁った。夜、消灯したあとの月明かりを求めて窓の下で体育座りをしながら必死に文字を追うレベルである。しかしそれは、その後何年も続く長い戦いの幕開けでもあったのだ。

 

 

私は微かな光で本を読みながら物語に陶酔していく。扉の向こうで父はバラエティ番組を見ているのだろう、時折笑い声が聞こえてくる。

静かな時間だ。

 

__しかし、その瞬間は唐突に終わりを告げる。

 

隣の部屋でピコンピコンとゲーム音を鳴らしていた弟の狸寝入りの音が聞こえた瞬間、私はハッ、と気が付くのだ。

 

___来る、奴が。

___トン、トン、トトン。

 

軽快な足どりが、私の部屋の前で止まる。

息を詰め、私は布団を首まで被る。

ガラ、ッという音と共に眩しいほどの光が入る。

 

「アンタまたそんな暗いところで本読んで!!目ェ悪なっても知らんでね!!!」

 

あァ、大いなる母よ。

あなたの予言は間違いなく成就しました。

今私は牛乳瓶の底のような眼鏡を片時も離せず生活しております。

 

 

ともかくも、朝は本を読みながら登校し、昼間の図書室の日向を独占し、夜の攻防戦を駆け抜けた私はいじめられっ子から立派なコミュ障に成り上がっていた。

そう、つまりは人格形成に1番大切な幼稚園から小学生の時期をほぼ全て物語の登場人物と過ごしてしまったがゆえ、行き過ぎた想像力と劇画調の口調を習得してしまったのである。なお悪いことに、その当時1番熱を上げて読んでいた分野は推理小説であった。

 

シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、エルキュール・ポアロ。等々。

 

おわかりだろうか。このメンツの特徴を。

それこそがそう!!スカしであることを!!!

 

………ウッ、胸が苦しい。

しかしながら私はもう一段階その階段を登ってしまうのだ。前述した自意識タワーの建設が始まる瞬間である。

 

中学生、いわゆる思春期というものが始まった時期。青春の第1ページである。

がしかし、私は相も変わらず図書室に入り浸っていた。なんなら思春期特有の「自分は特別な存在だ」という壮大な勘違いもそのままに、小難しい小説を教室で堂々と開いて読み始めるという奇行を繰り広げた。多分引かれていた。私も引いている。せめてもの救いは校区の関係上、小学校から中学校まで生徒がほぼ変わらない「一小一中制」であったため、私が少々とち狂った子どもであることを知っているクラスメイトが大半だったことくらいだろう。

 

そして、中学二年生のある日。

それはちょうど授業中に窓ガラスからテロリストが入り込んでくるところを撃退する自分を空想して悦に入る時期であったか、それくらいの頃に、運命の出会いを果たしてしまう。

 

人間失格/太宰治」である。

 

これは私だ。

そう確信した。

 

全体的に意味不明かもしれないが、当時の私は「他者と関わりを持ちたいがあまり他人の目を気にしすぎてしまい、その結果他者と距離置く孤独スパイラルに絡まった文学オタク」と化していたのだ。いくら作中の彼が激高スペックヤバ男だったからこそ憂いを感じたのだと言われようとも、少しばかりの親近感はあってしかるべき。

 

衝撃の出会いだった。

 

それからはもうご想像のとおり、そして今皆様方の前にいる私が形成されている。

 

 

長々とお話してきたが、要するに私はスカしの英才教育を受けてきたと言っても過言ではないのだ。仕方がない。なるべくしてなったスカしである。直そうと思って直せるものでもない。

 

とはいえ、対人関係にあまり良い作用は与えない性質であろう。だがそれも運命よ。

走れ、谷屋。孤独という名の一本道を駆け抜けるのだ。追い風を感じて空を切るのだ。

 

 

賢明な読者諸君はお気づきだろうが。

………これは本当に直らなそうだ。

高所恐怖症なので自意識の高さに足が竦んでいる。

 

え、出オチやんこれ。

タイトル良すぎやろ。え、もう無理やん。良すぎる。これが全てやん。はい終わり。解散。

……いやだってこれ以上言うことないし。さっきからタイトル何回も見返してため息ついてる。これ書ける私ってもしかしたらいわゆるあれ、「天才」なのでは?そうである可能性を孕んでいるのでは?

 

 

はい、もう皆さんわかりましたね。

ではご一緒に。さんはいっ

 

「そういうところやぞお前」

 

 

 

 

こういうところですわ。

全然思ってないです。天才だなんて。せいぜい一般人より書ける程度です。(は?)

 

思春期の芽生えと同時に、人はある種のナルシズムを抱えることになるというのは誰もが思い当たる節なのではないかと勝手に思っているが、どうやら私はそれが抜けずに成人を迎えたらしい。

高校生あたりで絶頂を迎えて、そこからは現実という名のエスカレーターを下っていくのが一般的なはずだ。だが私は方向音痴ゆえそのエスカレーターを見失い、現実逃避というショッピングモールに置き去りにされている。

 

 

 

さて、皆様方は「共感性羞恥」というものをご存知であろうか。要するに「恥ずかしいことをしている人を見ると自分も恥ずかしくなってくる」というようなものだ。

私はそれが激烈に強い。「人間失格/太宰治」なんてもうまともな顔をして読めない。苦虫eatingな顔になる。噛み潰す所ではない。丸呑みだ。…ウッ、想像してしまった。

 

羞恥に共感し、私は強く意識する。

こうはなるまい。こうはなるまい、と。

 

…そしてなる。

 

はっきり言ってならないのは無理だ。人が生きている限り、恥をかかないのは無理だ。

でもかきたくないのだ。私は笑われるような矮小な人間ではないとどこかで思っている。つまるところ、精神性としては「俺は東京出てBIGになっからよォ」と深夜のファミレスで宣うヤンキーバンドマンと同じである。

だが、自意識タワーの展望台から人々を眺めている私はこう思うのだ。

「うっわ、恥ずかしい奴だな現実見ろよ」と。

 

さんはいっ

 

「お前もな!!!」

 

あえて言おう。そのヤンキーバンドマンの方がはるかに恥ずかしくない。夢を言葉に出しているし、きっと努力もしている。何より人目を気にせず堂々と恥をかいている。えらい違いである。

「能ある鷹は爪を隠す」とでも思っているのか?ふざけるのも大概にしろ。お前は爪を隠しているんじゃない。生えてないんだ。ふわっふわの羽毛の中にマシュマロのような精神を温めてるだけの飛べないただの鳥なんだよ。引き合いに出された鷹に謝れ。地を舐めて頭を垂れろ。赦しを乞うのだ。さぁ、その薄汚い顔を

 

……恐らくこういうところもそうだろう。

自意識タワーの原材料は顕微鏡のスライドガラスの上にかけるカバーガラス。少しでも触れようものならガラガラと崩れ落ち、あっという間に地上に尻もちをついて全身複雑骨折で救急搬送になること請け合いだ。

 

つまり、人に批判されたくない→先回りして自分を批判する→傷付くと同時に冷静な分析ができているような気もしてくる→自分を客観視できる私すごい!(タワー建設)

 

まさしく阿呆の思考回路だ。

だがこれも実の所、自分を低く見積もり穿ちながら考えているのだからあまり信憑性はない。

 

 

つらつらと並べてきたが、このままでは私がただの自意識過剰という話で終わってしまう。まぁ間違ってはいないのだが。

そこで、何が一番だめかを考えてみた。

 

恐らく「本当のナルシスト」ではないからだ。

 

本当に私が私礼賛主義者ならば問題はないのだ。自信のなさを根拠ゼロの虚栄心で満たそうとするからおかしな事になる。それではガラスのタワーでマシュマロ精神を飼うことになるに決まっている。

はっきり言って馬鹿らしい。が、私は更に本当の馬鹿らしい。

上り詰めすぎて降り方がわからないのだ。下を見ると足が竦む。見下ろすしかない。膝を大爆笑させながら、見下した振りをするしかない。

 

 

せめて、せめて助けを求めるくらいは出来るようになろうな。私。木に登った猫でさえ鳴き喚くぞ。

 

 

 

こうなったらラプンツェルよろしく、髪でも伸ばすべきだろうか。

コンディショナーを少し良いものに変えるところから始めよう。

 

パンはパンでも食べられないパンはなーんだ。

 

こんなものを書いているが、私は一応大学生である。

普段のtweetを見ておられる皆様方は、谷屋の在籍している学部は文学部だと思われるのではないだろうか。私自身でさえそう思う。実は入りたかった。来世は入る。国文学者になる。でも小説家にもなりたい。いや、そもそも来世でもこんな調子で生きていくのか。というか来世はあるのか。我々はどこから来てどこへ行くのか。私は私なのか。それともゴーギャン

 

落ち着こう。

 

ともかくも、私は現時点では社会科教員を目指す身となっている。

その理由はおいおいまた話すとしよう。

 

光陰矢の如しというが、私の体感としては矢を通り越して「光陰リニアモーターカー」なので、うかうかしていたらすぐに採用試験が開通……もとい、始まってしまう。

というわけだから、教授もわたわたと教員採用試験のための対策を始めている。2年生のこの時期から論文指導をしていただけるというのだからありがたいことだ。

 

自慢ではないが、私は文章に自信がある。

読書感想文は県内2位にまで選ばれ、高校時代には3年間で1500冊を読んだ身だ。はっきり白状するが、講義で配られた原稿用紙をドヤ顔で受け取ったのは間違いない。

 

テーマは「『笑顔』から想起されるテーマとその設題理由、またそれらを自身の教育観と関連付けて論じよ(60分)」

 

はっはーん。なるほど。

つまり『笑顔』から連想されることを自分の理想の教育に当てはめて書けばいいんやな?

上等上等。こんな程度ならすぐにでも。

 

ものの20分ほどで書き上げ、誤字脱字をチェックし終わった私は「舞台/西加奈子」を読むなどして、その余裕ぶりをこれでもかというほどまざまざと講義室の空間に見せつけていた。

 

 

………………はずだった。

私の論文は完璧だったはず、非の打ち所がないと賞賛されこそすれ、何故だ。なぜ目の前の教授は笑っているのだ。そんな形で笑顔を論じた覚えはない。

研究室で返却を待つ私は言いようのない不安にかられた。この私が一体何を間違えたというのか。

 

※1番の爆笑をとった部分だけ抜粋しますので皆様も考えてみてください。

タイトルは「『会話』をするということ」

 

 

……(省略)私が児童生徒であった時期から今日に至るまで、私の趣味は読書や映画だった。休日には部屋に山積みの小説を横に、DVDのディスクを再生するという生活を送っていた。振り返ってみると、圧倒的に一人でいる時間が多いのだ。しかし、私は登場人物の言葉やその世界そのものに共鳴しながら「会話」をしていた。少々一方的ではあるが。(中略)  とはいえクラスメイトとの会話とは異質である。小説を読みながらにやにやしたり泣いたりしていても傍目からは怖がられるだけだろう。私でさえ怖い。脳内で世界が完結していては、自らが感情の発信者となることは難しいのだ。………

 

いや。

小説やんこれ。自伝的小説やん。

 

冷静になった頭で、教授に恐る恐る尋ねた。

「……論文、ではない、ですよね」

「文章力自体はめちゃめちゃあるけど意味無く発揮してる感じだね。あ、別に褒めてないよ」

「っ、かっ、てます!!!けど!!」

 

つまり私が20分間書き連ねたものはある種のエッセーであったという。文章は文章でも、全くその意図が違っていたのだ。

テーマにぶれなくとも。論理に一貫性はあっても。言葉の使い方は外していなくても。

私は論文を書いてはいなかったようだ。

 

そんなことがあって良いものか。

周囲がゆるゆると書いているのを見ながら少々なりとも優越感を感じていた昨日の私をぶん殴りに行きたい。論文と書かれたプラカードの角で、無駄な知識ばかりを詰め込んだその額に風穴を開けてやりたい。

 

思い知れ。お前は論文が書けないんやと。お前は、ただ小説が好きなだけの凡人やと。よく考えたら論文系統の賞は貰ったことないやろと。

 

 

そして今は山ほど赤の入った原稿用紙を片手にチキンラーメンを啜っている。

私が論文を書ける日は来るのだろうかと憂いながら。